夢のように

2005Jリーグディビジョン1 第26節
川崎フロンターレ3-0アルビレックス新潟 「等々力陸上競技場」 15:00
[主審] 大田 潔(東京)

J1二年目。
新潟は、昨年に続いて、またピンチ。

過ぎてゆく。
あきらめられない。

実りの秋。新潟に。
いちばん充実した季節なのに。

農民は、田畑を守り、どこにも逃げて行くことはできないのに。
明日への「希望の道」を負けても、今かざしてる。

ここから、粘り強い「アルビレックス新潟」の始まりだ。
新潟新年を迎えるためにも。

「こしひかり」をたらふく食べて、みんな一致団結!
出稼ぎすること無く、「冬」を越えてくれ!!

-----------.

私は今、古い押入れを開けて。

かっての「南国のみなもに映えて」1970.3.15~4.6の。
母校水泳部「五カ国東南アジア遠征報告書」を読んでみた。-

あれは、目白にある、N女子大「OG]との合同遠征の旅だった。

-シンガポール「YMCAホテル」屋上でのミーテング写真がくすぶっている。

マレーシア「ウエルズプール」。

タイ。ジャスミンの香り漂う「バンコク」のまちで。
日本人学校のこどもたちの「水泳指導」。国立プールでの親善試合。

夕焼けが歴史を越えていつまでも染めている。-

あのころの私の、監督は「井脇ノブ子」という、男顔負けのひとだった。

ほんとうに 激しいひと だった。何かを 求めて。

大きい蚊に刺されながら立たされて、「バンコク」の夜を 眺めたこともあった。

しかし、うつぶせの疲れた肩を揉めば、優しい彼女がいた。

そして、大きな恋。

彼女の。

若き日の あのときの。

互いへの愛からの、別れも聞いた。

しかし 大分訛りの、そのひとは、決して泣き言は言わなかった。

女として、無性にさみしく、やさしさを消そうとしたその「夜」は。
そっと誰にもわからず、「ゴーゴーダンス」を踊り明かしたに違いない。

かって、東京12CHのプロデューサー兼デイレクターだった、若き「田原総一郎」氏は、昭和46年ドキュメンタリー「青春」で、二十歳を過ぎたばかりの彼女を、その時から追いかけていた。

大分からも落選。
落選続きの「井脇ノブ子」は、苦節30有余年。

ついに「大阪」から自民党比例区で当選して、夢を実現した。

願わくば、伊豆修善寺の「寒中水泳」でこどもたちをきつく、思いやったこころ。

「朝霞プール」米軍キャンプ傍で
福生をおもいだすような「限りなく透明に近いブルー」
朝霞駅前のプールの「写真」が、それを伝えてる。

「上福岡での盆踊り」こども浴衣のひとみが濡れていた

東洋大「川越」キャンバス
工学部の
「長崎生まれの」彼

クリスチャンの「彼は」
なぜ、原爆は 長崎 浦上「よの」に落ちたと-

今は無い 朝霞駅前 

内田さん経営の 「朝霞プール」肩ぎわの
隅で 泣いていた

丸木位里の悲しいシルエットが浮かびだす

薄暮に「軍手」で泳ぐ浮沈工法は
きみは なにを さがしてた。

井脇ノブ子は、確かにそこにいた。
そして、叫んでた。

明日のために

岡本綺堂作「修善寺物語」。名人芸を目指してた。熱く。

深みのある、しなやかなドルフインの効いた。

また、新しい「井脇ノブ子」監督を。

期待したい。

ほんとうに、きれいに、美しくなった。
女らしくなった。

私は、あまりになつかしく。

粘り強く。

どんなにか、苦労をして、来たんだろう…

この今に、だぶらせて見た。
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