-遠い日-

あの頃・・・。

「サッカーだけが人生では無かった…。」

私の遠い日には、野球が在った。

小学生に成りたての朝の「田んぼ道」。

昨晩、消え々に聞こえた五級スーパーラジオの中から「ジャイアンツの喜びと悲しみの浪が打ち寄せていた。」

一人の上級生が、昨晩も「短波ラジオ」からの結末を聞いていた。

「国鉄の金田-根来のバッテリーが-対して巨人の大友が-そして僕らの憧れ-立教出身の長嶋茂雄がホームラン!-」。

越後のつらい冬が来るまで、上級生に始まる、毎朝の「巨人」勝利へのお知らせは、いつでも「校門」まで続いていた。

当然、中学は「野球部」だった。みんなそうだったように。

振り返れば、家・外でも「野球」だらけだった。

「2002年の新潟が始まるまでは」

-新発田の淡路投手。新発田農の甲子園初勝利。新潟商業の大橋。-

小さな心を膨らませ、白黒の感動を「ブラウン管」に「高校野球」も探していた。

最後の「青春」は、昭和42年夏。

夕陽に沈む長岡「悠久山球場」だった…。

糸魚川商工関本四十四投手が柏崎工に1-0で勝ちあがり、まず北越大会への進出を決めた。

そして、母校の三条高。一年からエースの本格派若井の凛々しさと、中越高今井雄太郎の横手投げ右腕が冴え渡る。

-二遊間に飛んだ2-1のサヨナラ。若井はいつまでも夕日のマウンドを去ろうとはしなかった。ホームベースに並びたくなくて、光る土煙りの先を認めたく無かった。

それから、2002年までがやってくるまで。

私は、「鳥屋野球場」に、握り飯とたばこと、後にカンビールで、通ったものだ。

弱い新潟が、いつか強く全国で暴れて欲しいと。

糸商の黒坂。北商の古川。~。明訓の小林幹英。まで。

1999年J2「アルビレックス新潟」を新潟市陸上競技場で見始めて。

あれほど思い入れた「野球」は、遠くどこかに消えて行っていた。

雨の降る日の近所の犬の散歩道。

新潟商業グランドに、今日も白い伝統のユニフォームが金網越しに聞こえていても。

日ハムの渡辺浩司がダイエーの星野順治が、この前まで、このグランドにこだましていたことも。

この町で生き、見つめていた、水島新司の「あぶさん」気取りは、もう片隅に追いやられていた。

2009年。新潟国体がある。

鳥屋野潟南部開発。

テニスコート。

体育館。

野球場。

-そろそろ、胸に永くしたためて置いた。

新潟ビートのスポーツアルバムを開いて。

今度こそ、強い新潟。

スポーツをこよなく愛する新潟を。

幼き頃からの「夢」

発信する”とき”が来たようだ。。。
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