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中野幸夫さんという人を知ったのは

Jリーグ専務理事の中野幸夫さんが、「アルビレックス新潟」の社長さんに戻って来るようだ。

 くりっとした目に愛嬌が在り、試合前には、スタンド下のグランドや、時折りスタンドに現れて、サポーターと笑い合う。憎めない、お方である。

 私事で恐縮だが、2003年9月13日(土)J2リーグ第33節14.00「福島県営あづま陸上競技場」で、アウェイの横浜FC戦があった。
今でも記憶に残る、菅野孝憲GKの号泣があった日である。  
 詳しくは、アルビレックス新潟HPのhttp://www.albirex.co.jp/past/data2003/kiroku/0913.htmを参照のこと。

 試合前に、うっかり私の煙草が切れた。近辺に店など無かった。
私の友人ジョニーが中野幸夫GMと知り合いだったので、髭の若杉(弟)さんとスタンド下の土を歩く中野幸夫さんに、ジョニーが、声を掛けた。
 「中野さ~ん!たーばーこ。無えぇっろ~かね~!」
 中野さんは「おーおー。」と白い左ポケットからマイルドセブンをジョニーへ投げ入れた。
 その時の中野さんの慌てようは「この方は、裏表の無いひとなんだなー。」と思った。
 ただ、たばこは、5、6本しか入ってなかった。
(コマリノート「万代から磐梯」第3クール最終戦」。http://komarisky.blog11.fc2.com/blog-entry-44.html)

 「アルビレックス新潟」は、1955(昭和30)年、新潟明訓高校OBが中心となって創部された「新潟イレブンサッカークラブ」が前身と云う。
そして、ワールドカップ日本開催を受けて1995(平成7)年「アルビレオ新潟FC」に改称したが、商標権で1997年「アルビレックス新潟」となった。
 その時、Jリーグ専務理事を歴任された、新潟工業の"鬼の沢村"こと、沢村哲郎さん(2014年03月05日享年74歳)のご尽力もある中で、中野幸夫さんは「アルビレオ新潟」設立事務局を担当する。
以来、2005(平成17)年「アルビレックス新潟」代表取締役社長となって、2009(平成21)年Jリーグ専務理事となる。

 故沢村さんが、全国に強固なネットワークがあったように、中野幸夫さんも、全国を旅して、さまざまな経験をされて来たに違いない。

中野幸夫さんの人間性で、展開がされて行くように祈らずにはいられない。
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