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2002年大分紀行

<その一> [1-1の引き分け]
J2リーグ 2002年8月3日(土曜日) 第22節 19.00 大分トリニータ 1-1アルビレックス新潟 「大分スポーツ公園総合競技場」 【主審】小川 直仁

2002年8月3日当日。

土曜日。J2第22節。

遥かアウェイ大分戦。

19:00開始の大分「ビッグアイ」スタジアムに行きたい衝動に「右往左往」している。

いたたまれず、タクシーに飛び乗る。

「新潟空港」発。

午前11時過ぎの、ANK「330便」に乗ることができた。

無計画な、衝動的な「旅の始まりだった。」

機上の窓間から、あざやかな色彩が大きく流れ行く。

ジュニアパイロットの、小学校一年生にも満たないような、女の子が。

「最前席」中席から通路側の私の左肩にもたれて来たのは、フライト後、まもなくだった。

親しき人たちに空港で送られて、ひとり楽しみの笑顔で乗った幼いその子は、窓から注ぐ陽を額に浴びて、どんな夢を見てたのだろうか。

16時過ぎに大分駅に到着。

マクドナルド前のバスに乗って、住宅地の斜面を駆け上がり、「ビッグアイ」スタジアムの頂きに向かった。

後半。

74分大分アンドラジーニャ退場。

サンドロ85分ペナルティエリア内のファウル。

選手たちも興奮する中で、78分に入った「瀬戸春樹」が、なだめ抑えていた。

マルクスのPK1点。同点。

試合終了の笛が鳴る。

あれほど抑えていた元新潟「瀬戸春樹」が。

こらえてたものを、心から振り絞っていた。

それから。静かに。

私は、8月3日「ビッグアイ」の青い夜を、後にする。

山を降りて、大分駅前商店街。

「大分Oホテル」隣辺りの、カウンター窓越しから親父さん。

「ふくやラーメン」。

提灯ライトのような灯りの中で、たまらなく私を啜らせて呉れた。

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<その二> [2-1で負ける]
J2リーグ 2002年10月23日(水曜日 平日) 第39節 19.00 大分トリニータ 2-1アルビレックス新潟 「大分市営陸上競技場」【主審】岡田 正義

2002年10月23日。

水曜日。

J2第39節。

17:00開始。

今度は「大分市陸上競技場」。

この日を、決戦と見ていた。

勤続30年を向かえた私は、会社の表彰式典が今日あるのに、「早割21」でANK330便に乗る。

何としても勝たねば。

気合が入っていた。

大分に向かうソニックの車中から黄色い花を見て、深まる秋に、未だ刈られぬ「稲田」に「九州」を感じていた。

今度は、大分駅左踏み切りを越えたばかりの「R大分」のホテルを予約しておいた。

「大分市陸上競技場」行きのバスに乗る。

大分県庁前を通って、大分川に架かる「舞鶴橋」を渡り、左側の「大分市陸上競技場」。

薄暮の中。

「やきとり」などを焼く、青い煙が立ち込める。

開始前、見知らぬ大分サポーターの二人と楽しく語らい、飲み合う。

今日は強気な私が居た。

メインスタンドアウェイ側で応援。

前半終了0-1。

まだやれると思っていた。

開始早々、右側ゴール前。

船越が-。

単なる捻挫?。

そんな位しか思わなかった。

白いタンカの上で、泣きながら、船越が運ばれて行く-

-ハーフタイム。-

競技場から青深くなる大分川を見つめる。

舞鶴橋向こうの夜景に、ふと新潟市にいるのかと錯覚する。

-ここは「佐渡汽船ターミナル。

舞鶴橋は万代橋。

-あの斜め対岸向こうの遥か「大分駅」は、白山駅辺りか。-

そんな思いに駆られる。

後半の50分。

また山根巌のゴール!

広島から所用で来たとの、精一杯の応援をされていた白Yシャツの男性。

私の堪忍袋は、80分に、切れてしまった。

「もう帰る!!」

帰ろうとする私に、白Yシャツの男性は、語りかける。

「先輩!帰らないでー。もうちょっと応援しましょうよ~-。」

翌早朝。

大分のホテルで目を覚ましたのは6時45分。

福岡発9時20分。

11時には新潟空港に到着の予定だった。

やみくもに部屋を走り出る。

よく忘れ物をしなかった、思う。

フロントの年配の方。息背切る私に。

「間に合わないと思いますが・・・。」

ルームキーを置くか置かないか、ホテルを飛び出す。

踏み切りから駅正面には向かわず、番線のホームに向かって、線路を走りまくる。

この朝陽のもと。

いつイエローかレッドの笛が吹かれたとしても。

かまわないと思った。

今、私は「武田鉄矢」のドラマ仕立てに居るのでは?

そんなことがよぎる。

ソニック102号が停まっていて、間に合ったと思った。

ホームを登り上がって電車に飛び乗る。

しかし・・・。

停まる駅の多い、後発ソニックだと気付いたのは、福岡近くになってからのことだった・・・。

-当然、新潟行きに乗れず、羽田廻りの飛行機で、東京駅から新幹線-

新潟駅に着いたのは、当日の夜も遅かった。

2002年10月23日。

失意の内に過ごした「大分の夜」。

やってはならない大分駅の線路を走り。

武田鉄矢の一場面を想い描いて。

また、いつか。

大分の夜は、どんな「夜」になるのだろう。
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