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男のけじめ

アルビレックス新潟のゴールキーパーの守田くん。
肩の筋肉、その他も凝って無いかい?
責任感が強いのは、ほんとうに判るんだ。
だからこそ、気を抜きなさい。
今の君は、それで良い。燃えすぎるんだ。
腑抜けのような、堕落のような「植木等」のように、無責任男になりなさい。
「無」から生まれる、お地蔵さんのように、目を細めて、ほら、ごらんなさい♪

タイトルの男のけじめとは、そんな、くだけた気の抜いた意味なのだ。

若き頃1970年。昭和45年。
僕は東京の某私立大学に居た。
その年11月25日は、南伊豆の乗り合いバスに揺られて、子浦海岸のある寺境内で前日から居候。
翌朝26日。その海辺のたもとで、遅れて届けられた新聞に、眼を凝らしていた。

つい、この間まで池袋のマンモスプールで盾の会。
「豊饒の海」完結四部作の三島由紀夫先生は、森田さん、古賀さんたちと泳いでいたばかりなのに、何と、昭和45年11月25日。市ヶ谷での永訣だった。
「花ざかりの森」から、哀しませて、誇らしげに、喜び、耽美に、青春・壮年・老年に啼いたり、「三島文学」の真の終焉は、何処か。

「静聴せよ!」の声が、南伊豆子浦の潮に濡れ流れていた。
なんという潔さか。潮騒が、一瞬黙りこくった時だった。

比べて、今の時代は、響かない。
言い訳とゲスと不倫と倫理の欠如のいじましさが混濁しているようだ。

「峠」を好んだ司馬遼太郎さんは、日本人のこころが、そこに有ると云う。

山の上下の「峠」。
せっかくの和製漢字が、捨て去られようとしている。
めでたく誕生した、明日の日本の子供たちに、日本の街道町人文化の文字が、戸籍で消されようとしている。

日本独自の清貧さが、拭い去られようとしている。

神と仏。戦後はイエスと、これからイスラムが。
和して、大和のまほろば、これからも。
和して日本文化が、続けられ、認められるためには。

混濁の無責任は、上も下も逃げてはいけない。

「峠」は、意味深な漢字を、指さしている。

中国漢字から日本漢字へ。
日本漢字だけの名前。魅力的だと思う。
日本漢字を増やしてほしい。日本独自の漢字で。

越後長岡藩領三島郡来迎寺村出身。井上圓了先生。仏教哲学者。
後に「東洋大学」となる哲学館を設立した。
その先駆者の心に、耳傾けよう。

卒業生の植木等さんは、お寺の子。これを具現化して居ると、思う。
白山から巣鴨地蔵がほほえんでいる。
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