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やさしかった、あのころのように呼びかけている。

1999年「大宮アルディージア」。アウェイの白と青の縁取りで「新潟市陸上競技場」を、信濃川河畔側から。青い情景を奏でていた。

たとえ、眼が見えないトラブルに巻き込まれていてはしても、互いの選手はほとばしっていた。

あえて、コマリは暴論を吐こう。
「アルビレックス新潟」に新風を。

さいたま市に、2チームを置くのは止めよう。
二つが、切り刻まれている。

「大宮アルディージア」を新潟に。
暴論だだとしても「大宮アルディージア」を救う道は、これしか無い。

新潟を愛して、「日本電信電話公社」に生涯を駆けたものとして、九州電気通信学園-中国-四国-近畿-東海-北陸-信越-東北-北海道電気通信学園。

「アルビレックス新潟」を、新しい新潟県としよう。

暴論のコマリを許し給え。

わたしの亡き父に連れられて、夏の半ズボンの見附駅の僕を連れて、魚沼辺りの車窓からの入る戦後期。
昭和26年ころ、5歳の時だったろうか。

群馬利根川の赤ふんどしの少年たちが、夏の川場に見えたとき、それが、たまらなく眩しく、僕の憧れだった。
早朝始発の「鈍行列車 」が関東ローム層の深谷の、畑を越えて行く。

大宮-浦和を過ぎて夜の黒になる。

「母ぁちゃーん!」やさしい、ほそおもての顔が浮かぶ。メソメソ-シュクシュク。
今でも、この日の朝からの母の顔が浮かばない。
どこかで、見つめていて、くれたんだろうか。

上野駅の京成電鉄乗り場。「父ーちゃん!電車はどこから出てくるの?」「下から出て来るの?」
父は「そーらな。」父との二人旅。
そして、柴又の父の妹。わたしの叔母。
「コマリちゃーーん!!」

浦和で亡くなった平成16年の叔母。抱き合うように同年12月に逝った父。

「アルビレックス新潟」の空が、新しく新潟に、やさしかった、あのころのように呼びかけている。
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