「万代から磐梯」第3クール最終戦

第33節 14.00  横浜FC1-7アルビレックス新潟 「福島県営あづま陸上競技場」

当日早朝、遥か「万代橋」を左手に見ながら上流の「千歳大橋」を渡る。

「磐越道」を上がり、安田ICをジョニーと共にひとまず下りる。

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第二クール終了後.

あの日々の。

しばしの一時。

「りょう」の山荘で「れもん」「ジョニー」と私の4名は、話し合ったのだった。

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れもんは、ナビ付きワゴンカーで、もう待ち受けて呉れていた。

遅れて、やや朝下手のりょうがやって来た。

「三川村」~「津川町」~「上川村」をかすめて、いにしへの「会津県」をジョニーの「風の口笛」が、添えるハンドルに流れる♪

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昭和47年春。

多感な「東京学生時代」を終えて、私はなおいっそう多情多感な「新入見習社員」を経て、4年間を「津川」で過ごした。

23歳からの「山紫水明の青春」が走馬灯のように走り去って行く。

あの頃、かのひとがひそやかに住む「豊実」には、鹿瀬町から日出谷駅前の「朝陽館のとりめし」を買って、そのまま鉄道以外の「車」で届けることなど出来なかった・・・。

「渡し船」か、津川町に戻り、福島県周りの豊実行。

ローカル「徳沢」「上野尻」駅そば。

旧道のなまりが懐かしい。


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「福島西IC」を下りて、忘れた夏が高原を隅々まで覗かせていた。

れもんとりょうは、余りの忘れた夏に驚ろく。

バックスタンドからアウェイゴール裏へと「白い7点のボール」を追いかけていた。

あれが安達太良山 あの白く光るのが阿武隈川

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レモン哀歌
               高村光太郎

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた

かなしく白いあかるい死の床で

私の手からとつた一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズいろの香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱつとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉に嵐はあるが

かういふ命の瀬戸ぎはに

智恵子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時

昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして

あなたの機関ははそれなり止まつた

写真の前に挿した桜の花かげに

すずしく光つレモンを今日も置かう
              

「智恵子抄」より

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第3クール最終戦。

万代から磐梯へ。

勝った。・・・・・・。

心配だった第3クール。。。

そして、磐梯から万代へ。・・・・。

そして。

第4クール第34節の始まり。

ホームスワンでの「湘南」戦だ。

忘れた夏の「締めくくり」は、第4クール。

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「津川IC」を下りて、安田で別れる間際のりょうの言葉が、みんなの耳に残っていた。

「これからは、戸締まり・カギのかけ忘れ。忘れちゃいけないのよね。・・・・。」

先程まで熱くすすった、腰の有る「喜多方らーめん」のように。

-しっかりと確認しながら-

いつまでも、ふるさとのりょうの「言葉」が喉元を過ぎていく。
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