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2002「鳥栖の夜」


2002年9月21日。
この日私は、残暑残る鳥栖の町に初めて居た。

午後3時前。
新潟空港発11時20分ANA330便で福岡空港到着。

地下鉄で福岡駅。

あっという間の鳥栖だった。

事前に予約しておいた、鳥栖駅前の瀟洒な5000円の「ステーションホテルM」のチェックインを済ます。
入室後、磁気カード挿入で、電気、TV、エアコン、風呂場も、全てONになる。

それに気付くのが遅かった。
「まだ、午後の3時だ。
給電して無いんだ」と、サウナ状態気味のベッドで横耐えていた。

午後4時過ぎにホテルを出て、コンビニに立ち寄り、鳥栖駅脇の歩道橋を渡り、隣接している有名なサッカー専用スタジアム。「鳥栖スタジアム」の前に出る。

はるばる、新潟から28人程を乗せてやってきた応援バスが、1台。

スタジアム構内の閑散とした駐車場に、陽炎を上げながら静かに止まっていた。

入場は1時間前と、新潟と違って遅めで、その間ゲート前で知り合った、バスで来た小国町のひとりの若者と談笑しつつ、開門を待ちわびる。

午後6時開門。

すぐさまスタジアム内に入り、通路の売店にある、名物の「かしわめし弁当」を見つめながら、アルビレプリカはアウェイのゴール裏へ向かった。

通り過ぎるボランティアの人たちが「こんにちわ!」と、挨拶する姿が眩しい。

ゴール裏では、末岡龍二選手のお父さん、お母さんが来ていることで、ざわついている。

山口県光市からここまで、晴れの息子の「プロデビュー」を見るため、試合中も座りもせず、前のパイプフェンスを握りしめながら、最後の最後まで、立ち尽くされていた・・・。(超感動)

ゲームは前半0-0で折り返し、ようやく終盤に72分、宮沢の得点で均衡は崩れた。

・・・。後半86分。

宮沢に替わって、3人目最後の選手交代だ!。

「末岡だ! 息子さんが、ほら! 出てきましたよ!」

私は振り返って、お母さんに叫んだ!!。

優しい目元も、容姿も、末岡選手そっくりなお母さんは、食い入るように、確かめるように、前のめりになって、愛おしい息子の姿を追いかけて、グランドを凝視した。

しかし、アナウンスは「~深澤選手が入ります。」・・・。

(ホントにごめんなさい)・・・。私は申し訳なくて、直後89分、眼前で見せつられた深澤選手の素晴らしいゴールに、頭上にかざした右手のこぶしも、飛び跳ねて喜ぶことなど出来なかった。

。。。。。。試合終了・・・。

私は、またその歩道橋を、やるせないような、センチメンタルな気分で渡っていた。

「悟は元気かい!」

「片淵はどうしてるかね?」 

「二人とも、うちに居たんだぞぉ!」

多くの鳥栖サポーター達が、歩道橋の階路で、今まで繰り返し、さまざまな心を刻んで来たであろう靴音で、私に語りかけて来た。

「はい。いい選手ですね」 「元気にしてますよ!」 「好かれてます」 etc.

「そうだよ。そうだよなあー!」・・・・・。

それから、5分もしないうちに、ホテルの居酒屋に入った。

店内は、数人の客と白い料理人が、カウンター越しに静かな明かりの中で、対峙していた。

私は「麦焼酎」を、数杯飲み干した。

そして、誰にも聞かれないよう、光りのカウンタに吸い込まれながら、グラスなぞりで呟いた。

・・・・・。「あれほどサテライトでも一生懸命、気を抜かずにがんばっている。末岡龍二。いつか、君に陽があたる日が来るよ。

あんなすばらしいお父さんとお母さんが居るんだから。」・・・・・。

私は、2003年、末岡龍二に期待している。
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