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第16節「笠松に勝つ」

第16節 14.00 水戸ホーリーホック0-1アルビレックス新潟 「笠松運動公園陸上競技場」

ようやく、笠松で勝つことができた。

開始前、木澤正徳選手の300試合出場の表彰セレモニーがあった。

1999~2000年。

「アルビレックス新潟」のキャプテンとして、時として疾風の如く駆け上がる「熱情プレー」は、新潟の心を熱く湧かせた。

「セクシー木澤!!」の、真っ先の「新潟応援コール」に、彼はなつかしそうに、両手を上げて応えていた。

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2000年。暑い「市陸」の夜だった。

メイン観客側から見ると、中央左側最上部階段ルート近辺が、あの頃の私の応援席だった。

ゲーム途中、まばらな、あの階段を登る、白い木澤が居た。

「こんにちわ!」私は言った。

応えて、木澤は軽い会釈で、ほんの袂の上部席に座った。

当夜の試合は、前回木澤が熱く過ぎ去った、1試合停止の日だった。

彼は、黙って最後まで見続けていた。

そして私は、相も変わらず、壊れ続く3本目の「メガホン」を、思いっきり打ち鳴らしていた。

あの頃の「市陸」は、カラッポだらけだった。

幼児も子供も、あの広いスタンドの野原に居た。

そして、気にはならなかった。

その年の「秋口」からだった。

ゴール裏の未だ一握りのサポーター達が、「明日への夢」をつなげようとする。

今までに無かった、「ハイテンポ・ハイテンション」なタイコとリズムに惹かれて、近くの「静かな?場所」に行き始めたのだった。

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今はもう、「J1昇格」でギスギスで、新しい子供達は、ゴール裏の強烈な母達の元で喘いでいる。

まるで「動物園」見学、乃至はしゃぐ「遠足」に来ているようだ。

-ボクは、未だ「ゲームボーイ」。- 

ボクは、未だ「フエンス」での回転。-アタシは「階段」駆け下り-

閑静な片隅に逃げた私は、今、余りにもの席取りの激しさと携帯の喧騒さと子達等のお遊戯と視線への「ご愛嬌返し」で、試合が終わるとすっかり疲れ切ってしまう。

「ゴール裏」は、集中して、心から、純粋に応援したいのです。

団体見物で、「ゴール裏」に踏み込まないでください!

食べて、飲んで、お遊びして-

終了間際、気付かない程の「瞬間」で消えていく様は、まるで信じられない、光景だ。

残ったゴミの些細な後片づけしながら、一層、苛立たしは募り、家路に帰るなり、眠りこけてしまう。

そして、自虐的な「夢」を見る。

明日からの席を、どこへ逃げようか。

急転、サポーターの数が、めっきり減って、ゴール裏は「空席」が目立ち、当然「観客」はメインだけ。

そして、あんなに燃えた「アルビレックス新潟」を、失望のうちに、秋風と共に去る日。

-あの日は、いったい、なんだったんだろうか?・・・・・。-

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福島県いわきから、国道6号線で茨城県日立市を過ぎて、「笠松運動公園」はある。

中の通りは、緑の森に囲まれている。

試合は、開始から先発の新人「尾崎瑛一朗」の"粋の良さ"が目立っていた。

この新人は、後半「マルクス」への勝利の1点への右クロスを抜きにしても、インパクトの残る選手だ。

いみじくも、かっての「木澤」が水戸のサイドでゲームを見つめる中、~「井上公平」~「小林悟」~?・・、

と、右サイドに「新潟」は悩んで来た。

「尾崎瑛一朗」は、新しい『息吹』を持っている。只者では無い。

かっての、私が昭和40年前後の高校生の頃。

間ぢかに見ていた「速攻のS高バスケット」の全国制覇の道のりを思い出す。

今の「アルビ」は、動くしかない。走るしかない。

見ていては、指をくわえてるだけだ。

各選手のキャラクターは、少なくても最低限は尊重しよう。

しかし、最後までフルに『走り回り』『動き回る』""速攻""という武器を待ち合わすことを期待する。

笠松で勝つことができて、良かった。

前夕の「霧」と当日の「朝霧」が消えて、薄暮の常磐道と磐越道には、気持ちの良い風が吹き込んで来ていた。
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