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一つの倫理

2003年。鈴木健太郎は、東京ヴェルデイ1969からレンタルでやって来た。

湘南ベルマーレ(99~)モンテディオ山形(01~02)。

北海道旭川高出身の彼は、人一倍負けず嫌いの、左サイドをえぐる「斬り込み屋」だった。
2003年1得点。

記憶する限りでは、五十公野公園を駆け上がって、テニスコート脇下で、2003年富山YKKとの練習試合があった。

水木勇人。山形辰徳。ジェイウソン。和久井秀俊。熱田眞。山田将司。田中泰裕。中島ファラン。西原幹人。が居た。

みんなが、一生懸命だった。明日の”ピッチ”に、どうしても立ちたくて。

総勢36名の選手を抱えて、ホイッスルをぶら下げた、白い反町監督が、そこに居た。

開始前、反町監督は、やって来て、「おー。どうもお久しぶり!」

「ここ五十公野で、カメルーンが合宿する予定が、あったんですよ!」と、相手監督に握手をしながら、語りかけていた。

あのシーズンは、みんな「ワールドカップ2002」も終えて、明日の「J1」をひたすら目指してた。

「~~。ですよね?あれですよね?」

明日を夢見る北野貴之は、ひたすら前半の出番を終えた、同郷の鈴木健太郎に問いかけている。

寡黙な鈴木健太郎は、「~。~。だよ。」

私たちと同じ石席で、北野貴之に的確に答えていた。

あの日々は、ゴールキーパーには、①まさに清水からの”花形”の男。野澤洋輔②私の好きな前田信弘[(同志社大)清水エスパルス]③我らが組長。木寺浩一が陣していた。

当日も、まだ札幌大学を中退して、反町アルビでは、北野貴之の出番は無かった・・。

ここまで書いて来て、何を主題として、何を云おうとするのか、分からなくなった。

ただ、言える事は、組長「木寺」[(武南高)本田技研ルミノッソ狭山]は、年季を積んで、神田鰹とも同じ「釜」の飯を喰ってきた男。

そんじょそこらの「男」とは違う。

そんなに、前に飛び出さなくても、勝負が判る。

すぐに真似をしようたって、簡単にできるものではない。

前田信弘は、ほんとにしつこい大きな声と指示で。俺たちよりもうるさい真後ろのサボーターだった。

私は、いつもサポーターとして、貴重な「教訓」を教えられていた。

私が何を言いたいか、ということ。

それは、未だ実力も、そんなに無いのだから慢心しないこと。
まだまだ、若いのだから、怖がらず前に飛び出すこと。冒険すること。攻撃は若さの防御なり。
周りに、余り気を使わないこと。
ゴールキーパーは、特殊な役割だから、ちょっと変わった風に見せておいて、「我が道」を行く。そういう風に見せること。
オーバージェスチャーも、大きく見せる一つだよ。

まだまだ、あるが、確かに、君だけの責任でも無いと、密かに思っている。

コーチ指導の”癖”も、もう他チームに研究され尽くされて、「アルビレックス新潟」ゴールキーパーの空間は、とっくに読まれているのだろう。

誰に混わらず、まさにゴールキーパーという役割は、何という「悪役」という「十字架」を背負っている、孤独な役割だと、つくづく思う。

しかし、鈴木健太郎は、意地をもって「おのれの道」を前のめりになりながらも、相手をくぐり抜けて、自分の道を突き進んだ。

そんな前向きな、気かん坊の「生き方」も、ゴールキーパーの「宿命」として、「人」への深い「愛」の一つの倫理だと信じている。
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