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13番「新井健二」頑張った

第3節 14:00 横浜FC1-0アルビレックス新潟 「三ツ沢公園球技場」

2003年3月29日。土曜日。14時開始。対戦相手「横浜FC」。結果0-1。終了間際の負けだった。

白みかけた「白山駅」5時43分からの「青春18切符」が始まった。

三ツ沢14:00に間に合わせるため、「新潟」~「長岡」間だけは6:02の上越新幹線を利用する。

「長岡」6:27着。6:38発上越線「水上」行きに乗り換え、8:48着。「高崎」行き、8:55に乗り換える。

9:55「高崎」着。10:05発高崎線「上野」行きに乗り換え、11:59「上野駅」に到着した。

「高崎駅」を過ぎた辺りで、偶然乗り合わせた「反町一門」さんと再会する。

以後、三ツ沢上り口まで同行する。

彼とは、昨年12月15日「広島」での天皇杯以来であり、メガネの風貌も黒ずくめの背広も「反町監督」そのまま。その流儀で、いつもメインスタンドで見続ける彼は、「反町監督」を熱く崇拝する、若者である。

京浜東北線に乗り換え、「横浜駅」下車。

徒歩で、三ツ沢競技場までの、咲き始めた桜を見ながら、登り着いた。

守備の要「神田勝夫」「杉山弘一」「秋葉忠宏」がケガで、13番「新井健二」が入っていた。緊張したと思う。

昨年の第12節4月27日と同じく「横浜FC」以来の、久しぶりのスタメンだった。

後半の半ば過ぎ゛、拮抗した0-0の緊張感からか、空蹴り・反転で2度も転んだりしていたが、13番「新井健二」は頑張っていた!

今までの動きよりは、素早くなったし、正確さ、守備も広がり、防御も強くなった。そしてシュートまで行ける。

最初の空振りでヨロメイて転んだ時、みんな選手は、健二を必死にフォローしていた。

とりわけ、「安英学」の防衛本能と転じた動線はすさまじく、さすが「立正大学」1年先輩の新井を助けるべく、同じ1978年生まれの「安英学」の純血の男気には感心した。

あの忘れもしない!一昨年2001年5月19日新潟スタジアムのこけら落とし「京都パープルサンガ」戦。

立正大学からやって来た「新井健二」は、必死にがんばっていた・・・。

今日の負けは悔しかったが、私は嬉しかった。

ゴール裏で、私は何度も「ケンジ!ケンジ!」と叫んだ。

チーム一番の汗っかきで、激例会等のステージあいさつなんかは、いつもハンカチ片手で汗をぬぐっている。

雪すさぶ「練習場」では、ファンの子供たちにも思いがけない労わりも覗かせてくれる。

終了間際の後半42分。誰もただ唖然と見とれていた、横浜FC小野信義の右シュート。

それでも「新井健二」は後半44分、左の「心」のシュートを放つが、惜しくも相手DFに渾身の飛び込みで阻まれてしまった。

終了後のゴール裏前。あの大きな体に似合わず「新井健二」は嗚咽していた。

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帰路は、「三ツ沢」の丘を一気に駆け下りた。

今晩の宿は、常磐線「南千住駅」から10分ほど歩いた「浅草」近くの清川2丁目。2,900円3畳の部屋だ。

その夜、次の日の朝も、周りは労務者の男達の中にいた。

31年前の私の「東京学生時代」と何ら変わらない、下町の東京が続いている。

朝の定食は、納豆、生卵、海苔、味噌汁、飯がついての「400円」。

朝から酒を飲む人たちが、その酒を売る「コンビニ」前だけが、私には慣れない「情景」だった。

路上では、暖を取る煙が気儘に流れ、ネジラれたデコにかかるタオルは、いつしか赤銅色の顔模様に染まって行く。

この人たちのイジらしい朝に、「仕事」に行きつけるのは、一体どのくらいなのだろうか?・・・・・。

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今日(30日)の「青春18切符」は、「南千住駅」から始まる。

「上野」発7:50分高崎行きに乗り9:40着。10:20発で11:21水上着。

水上駅は陽だまりの中で,特急「水上〇号」がマニアたちのフラッシュに焚かれていた。

11:35発で13:36「長岡」着。信越本線下り13:39発で14:55新潟に到着。

「青春18切符」は、未だ4月10日まで3日(回)分。

それは、私の胸の中に眠っている。
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