懐旧シンガポールから

1970年(昭和45年)3月15日早朝。

21歳になったばかりの私は、羽田から、キャセイ航空で、香港経由のシンガポールの旅に出た。

遠い、ほのかな日をたどる。

これから向かう、我が「アルビレックス新潟」の選手たちに、親しきこころを込めて。

その夜、降り立つシンガポールは、無数の星が散りばめられていた。

宿の食事の大きな魚のあんかけに驚いた。

翌朝の町で、通り過ぎるマレー人たちは明るく。

「アジノモトー! アカイー!」。と呼びかけてくれる。

ふと、ある通りに入れば、インド人街。

この国は、政治はマレー人。

実際上、経済を動かしているのは、華僑の中国人たちだ。

照りつける太陽に透ける青い空と緑の樹間の「ジョホール水道」を見て、かっての日本軍の足跡も記された「記念

館」を訪れ、繊細な紙、竹細工のメモを取っていた。

閑静な日本人墓地を訪れる。

明治の文豪「二葉亭四迷」は、ここに眠っている。

-くたばってしまえ-と自虐的な作者名にしたという二葉亭四迷は、欧州帰りの船旅の帰途に、この地で生涯を終えた。

日本人墓地を後にして、百貨店で買い物をして、チャイナ系の売り子と談笑し、ボウリング場では、カウンターのひとたちに拍手を受けていた、あの日。

いつしか、夕焼けの公園のブランコに、私はゆれていた。

子供たちは無心にボールを蹴り合っていた。

ふと、「異国にて、異国には異国の憂い在り」と、感傷的な気分に浸っていた、ことを思い出す。

34年が過ぎようとする今、シンガポールは、どのように変わったんんだろうか。

その街に、今、我が「アルビレックス新潟」の選手たちが行く。

ハーモニカなど欲しくなって、そっと「日本の歌」を吹きたくなる日もあるだろう。

しかし、彼らは、いちだんと逞しくなって、また「新潟」に帰ってきてくれるだろう。

私の遠く、小さく、ささやかな、「懐旧シンガポール」から。を。  

東南の国に旅立つ、選手たちに送ろう。

トゥリマ カシー!

-ありがとう-

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